二ノ宮神社(式内 比利多神社)
Contents
概 要
社 号 二ノ宮神社
読 み にのみやじんじゃ
境内社 式内社 近江国野洲郡 比利多神社
別 名
所在地 滋賀県野洲市西河原55
御祭神 天児屋根命
〔配祀神〕 素盞嗚尊 大山咋神 菅原道真公
御神紋 亀甲
例祭日 4月 13日
社格等
境内社 式内 比利多神社
御祭神 開花天皇皇子日子坐王命
古代社格制度『延喜式神名帳』
東山道 式内社382座 大42(うち預月次新嘗5) 小340
近江国 155座 大 13座 小 142座
野洲郡 9座 大2座 小7座
近代社格制度
創建 年代不詳
本殿様式 一間社流造
境内摂末社(祭神)
比利多神社 子安神社
一口メモ
中主小学校前
式内社 近江国野洲郡 比利多神社の論社は2社
浅殿神社 滋賀県野洲市比留田693
比多利神社(二宮神社境内社) 滋賀県野洲市西河原 552
歴史・由緒等
兵主神社所管社二十一社の一。欽明天皇の時代に鎮座。養老二年社殿造営。のち大同二年、延暦寺の僧最澄が天台宗弘法のため湖東に三大寺を創設、中主町乙窪の仏性寺をその一とし、当社を鎮守神に定めたと伝える。二ノ宮社の社名は、兵主神社二十一社のうち、中七社第二番目に当るところからきた。
境内社の比利田神社は、欽明天皇六年、豊積荘に降臨、比留田字上山に鎮座されたが、建久年中となって、西河原二ノ宮神社の境内に遷されたと伝える。悪皇子宮とも浅殿神社とも称された。御祭神は、開花天皇皇子日子坐王命、延喜式内社、兵主二十一社の一。また、口伝によれば、同社を本兵主とも称し、養老二年、兵主大神が、八ッ崎裏に降臨されたとき、北利多神が兵主郷に迎えたといわれる。兵主神社の古式例祭には、西河原、比留田両字も七社の一つに加わり、神輿を渡御する。
「滋賀県神社庁」
境内・社叢
鳥居
手水舎 拝殿
本殿 境内社 式内比利多神社
本殿 比利多神社の境内社
少祠 境内社 子安神社
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